一介のパチンカスとして美しく生きていきたい

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拙者、生まれも育ちも生粋のパチンカスである。

生まれながらにして全ツッパ症候群という厄介な病を抱えながらも、今日も元気に玉を弾いている。

しかし同じパチンカスの中には台パンをしたり、マナーの悪いハイエナ連中を見かけることがある。

そんな輩はパチンカスというより、もはやただのカスである。

拙者は一介のパチンカスとして美しく生きていきたい。

いや、美しく散りたい。

今日はそんな拙者のパチンカスとしての矜持、そして美学を少しだけ披露したい。


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負けた時の話がなによりの馳走です

 

他人の不幸は蜜の味とはよく言うたもの。

パチンコで負けた話と言うのはこの世のどの類いの話より面白い。

その額が大きければ大きいほどそれに比例して面白おかしくなる。

私はある時ふと気づいた。

負けた話を披露している時の周りの人間の気持ちの良い笑顔を。

この笑顔のために、負けた話を披露するために私はパチンコを打ちに行っているのだと。

負けるために打つ。

パチンカスとは周りの方々の笑顔の肥やしと見つけたり。

 

 

店員さんに感謝!ホールに感謝!!台に感謝!!!

 

私は普段からちゃんと感謝の気持ちを持つように気をつけている。

パチンコを打つことができるのはパチンコ屋があってそこで働く店員さんがいて、そしてそもそも台を作ってくれたメーカー様がいらっしゃるからである。

最近では台へのリスペクトを忘れた輩が多いようにお見受けする。

もし本当に感謝の心があれば台パンなど以ての外、多少負けても「今日もありがとう」と感謝の言葉を述べて退店するものである。

どんなにクソ台でも良いところは必ずひとつはある。

それをちゃんと見つけてあげることこそが我々パチンカスの責務なのである。

負けさせて頂き笑顔で感謝。

パチンカスとは肥やしとなっても笑うことと見つけたり。

 

武器は己のヒキの一点のみ

 

昨今ではネットを検索すればまだホールに導入されていない機種の情報なんかも簡単に手に入る。

スロットで言えば解析なんかも即座に出るし立ち回りのヒントは無限にある。

しかしだからと言ってハイエナのために他人に迷惑をかけていい道理などない

そこまでして勝ちたいと思うそのバイタリティは少し羨ましいが、他人を蹴落としてまで己の利益を追求するやり方はもはや人道に悖る行為である。

私は己に宿りしヒキのみを武器に鉄火場を闊歩したいのである。

最近ではパチンコも遊タイムがついてハイエナ打法が有効になってきたが、期待値計算とかそういうのも面倒である。

回らずとも当てればいい。

パチンコは本当にシンプルである。

そしてその当てればいいを実現するための武器は己の長い実戦経験で培ってきた鬼のヒキのみだと私は考えている。

パチンカスとはヒキのパワープレイで出玉をふんだくることと見つけたり。

そして私のようなパチンカスがハイエナの格好の餌食になると見つけたり。


出さぬなら出すまで打とうパチンカス

 

パチンコを打っていると一向に出ない時がある。

そんな時に人はイライラして暴言を吐きがちになるが、真のパチンカスはその程度では狼狽えたりしない。

打ち続ければいつか必ず当たるし、当て続ければいつか出るということを知っているから。

全く出す気配のない台でもいつかは必ず出す時が来る。

その時に目の前に座っているのは自分でありたい。

そのために出るまで打つという粘り強い姿勢を崩すわけにはいかないのである。

出さぬ台と出させるパチンカス、両者の我慢比べこそがパチンコの醍醐味である。

私はそういう試合をしていきたい。

パチンカスとは粘り強く負けることと見つけたり。

 

一介のパチンカスとして美しく生きていきたいのまとめ

いつの世もギャンブルは人間の心を熱くする。

熱が入り過ぎて多少いき過ぎた行動や言動をしてしまう時は確かにある。

しかしそういう時にこそ人間の本性が現れる。

拙者はせっかくパチンカスとしてこの世に生を受けたのだから、どうせなら美しく散っていきたいと思っている。

負けた時にガチで機嫌悪くなる奴とかたまにいるけど恐いからやめておくれ。

拙者は勝ち方はわからないが、負け方なら知っている。

つらつらと長きに渡って書いてきたが、とにかく楽しくプレイしよう!ということを言いたかっただけなので候。

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