毎朝パチンコ屋に1番に入店したい。
誰しもが胸に抱える願望であると思うが、そうはいかない。
なぜなら入店の順番の公平性を保つために多くのお店が抽選という儀式を毎朝行うからだ。
この抽選でいい番号を勝ち取り、誰よりも早く入店することで己の狙い台を確保することこそがパチンカスの天命なのである。
つまりその日の命運は全てこの抽選という儀式にかかっていると言っても過言ではない。
緊張と興奮。
幾多ものパチンカスが様々な想いを胸に抽選整理券を引くのだ。
しかし退店時には萎びたタンポポのように俯いて帰ることが多いのがパチンカスの逃れられぬ宿命だ。
思い返せばあの時が、あの抽選という儀式の時が1番楽しかった。
そう思うこともまた多いことだろう。
今回はそのパチンカスの清めの儀式である抽選について語っていきたい。
イベント日こそ抽選が醍醐味
その日はどんなに自堕落なパチンカスであっても目覚まし時計を起こしてあげる勢いで早朝に目を覚ます。
その日とはもちろんかつて全国のパチンコ屋で催されていたお祭りの日、つまりイベント日のことだ。
多くのパチンカスが各々の狙い台を確保するためにまず突破しなければならないのがこの抽選だ。
狙い台はもちろん他のパチンカスも目を光らせている。
「ねだるな、勝ち取れ」このエウレカで有名なセリフを最も体現する時こそが抽選であることはもはや言うまでもないだろう。
さすれど与えられずなことがほとんどであることももちろん言うまでもないだろう。
しかしイベント日にいい番号を引いて狙い台を射程圏内にとらえることができた時の興奮はやはり格別だ。
抽選後の再整列の静けさはわびさびの心
抽選という儀式を終えた後には再整列が待っている。
練習したわけではないのにそれぞれ引いた番号通りにしっかりと整列するその様はなかなか統制がとれていて少し面白い光景だ。
この時ばかりは抽選の時にはしゃいでいた集団も散り散りになり静寂が訪れる。
それぞれのパチンカスが緊張と興奮を胸にイメトレに勤しむのだ。
歓喜とため息が入り乱れる抽選時とは違い静かな時間。
私はこの時間帯にこそ日本人がどこかに置いてきた侘び寂びの心を感じるのだ。
松尾芭蕉がこの場にいればおそらく生涯を代表する俳諧を作っていたことだろう。
全ての希望と興奮を無に帰す結果
パチンコにおける抽選という儀式は希望と興奮を求める多くのパチンカスにとって非常に大切な儀式だ。
この抽選で良い番号を引くことで勝利に近づくことができるのは先述の通りだ。
しかしながらパチンカスは大抵の場合、敗北を喫し苦悶の顔を浮かべながら帰路につくことが多いのもまた先述の通りだ。
絶望とは希望を断つということ。
抽選により良い番号を引くという結果は大いなる希望を我々パチンカスにお与えになる。
しかしその希望が大きければ大きいほど絶望も大きくなることはこの世の理である。
思い返せば抽選を引いたあの時が1番興奮して1番イキイキしていたなんて日が多いのはもはや言うまでもないだろう。
こんなことなら後ろのやつにこの負けた5万渡してさっさと帰っとけばよかった。
なんてことは絶対にしないが私はその方が無駄な時間を生まないだけ利口であることに気づかないふりを長年貫き通している。
パチンコで1番楽しい時というのは抽選を引く時に他ならないのまとめ
パチンカスの儀式である入場抽選。
その日1番の興奮をお与えになってくれる清めの儀式はパチンカスにとって大事なしきたりだ。
どれだけ良い番号を引こうと敗北に終わることが多いパチンカスの過酷な宿命の前ではやはり1番楽しい時というのはこの抽選の儀式の時なのかもしれない。
私の場合は抽選を受ける時はイベント日で打ちたいスロットがある時だった。
しかしそのイベントも禁止されスロットもピンとくるものがない昨今では抽選に参加しようと思うほどの熱が持てなくなっていることが最近の私の悩みだ。
できることなら5号機の新鬼武者や緑ドンのように毎日でも打ちに行きたくなるようなスロットが再び降臨することを願っている。
そのような台が出ればまた毎日抽選を受けに行くようになるだろう。
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